こんばんは!映像管理担当のゴンパパです。
先日行われました福興カフェの各都道府県のリーダーを担当していただいた方々から感想が寄せられましたので、報告いたします。
また、レインボーフラッグ班の、なりたつさんの感想同時に掲載いたします。
今回初めてリーダーをしてみて、8人という少ない人数だったんですが、充実していたと思います。
今まで友達とこんなに真面目に震災や原発のことを話したことがなかったので貴重な時間になりました。
やっぱり多くの人が原発について忘れてる部分があったと話していて、私も実際に震災には関心があったけど、
原発という問題に対してあまり意識を向けていなかったことに気付きました。
復興カフェを通して、私と逆の意見や色々な考えが聞けて本当によかったです!
それから、リーダーとかはたくさんの人と協力してやらないと人は集まらないし、回を重ねるにつれて同じ人ばかりになってしまうなーとも実感しました。
埼玉県の福興カフェリーダーの山田様から
当日参加された方ではないですが、仲間で毎月1~2回、果物や野菜を福島に届ける活動をされてるMさんがいます。
Mさんの講演会を聴いたばかりのメンバーが私を含め数人いたため、その内容をシェアしたり、意見を出し合いました。
原発に近い地域の子どもたちは灰色がかった青白い顔色で、あまり外出させてもらえないため元気がなく、ストレスにさらされていると。
また、不安そうな母親の顔色を伺っているようだと。
Mさんの願いは、一時でいいので汚染濃度の高い地域を離れる時間を作ってほしいと。
だけど、離れたくても離れられない事情のお母さんからは
「逃げれるならとっくに逃げてる!危険だとか、子どもたちのことを想うならとか、言いたいことは充分わかってる!わかってるけどどうしようもないの!
だからこれ以上その優しさで私たちを傷つけないで!責めないで!もう言わないで!」
そんなことを何人にも言われているそうです。
福島のお母さんは、放射能がどれくらい怖いか、痛いほどわかってる。
不安で狂いそうな気持ちを抱えている。
だけど、出てほしい。
その葛藤の中で、
残ると決めた人たちにできるせめての支援をと、果物や野菜を届けている。
だけど、経済的には普通に生活できるから、本当は物質的な支援は必要ないそうです。
行くことで、顔を視ながら、言葉を聴きながら、心を寄り添わせていきたいのだと。
このお話を聴いて、
なおさら、私たちに何ができるか考えました。
避難して来てる人たちへの支援はできますが、残ると決めた人たちへの支援…。
私たちも身近に刈羽原発をもつ身です。
同じことが起こったら、
どうしたいだろう?
どうしてほしいだろう?
そんな話も、「逃げたい」「やっぱり残りたい」に分かれました。
なかなか、答えは出ませんでした。
また、今後の課題になると想います。
新潟県の福興カフェリーダーの坂井様から
今回も同じ南相馬市で開催しましたが、前回とはまた違うメンバーでの開催です。
色々な職業の色々な立場から当時の様子、今の様子を聞けたらと友人達に集まってもらいました。
子供たちを預かっている小学校の教師。南相馬市はただ1校を除いて高台に学校があったおかげで難を逃れ、津波にのまれた1校も先生の誘導で高台に避難。
学校に残った子供たちが全員助かった事は本当に良かった。でも、学校が再開され始めた今、その4分の1程度の子供しか地元にはいないとの事。
目に見えない放射能の恐怖の中で子供たちを育てる事が出来ないのは当然です。
色々な事情で移住することが出来ない人達も定期的に体内の線量を測りながらの生活です。
また、被爆した介護施設からの受け入れをした介護施設勤務の友人。その運ばれて来た入居者に誰も近寄ろうとしなかったそうです。
ズボンも履いていないお年寄りなのに・・・
自分が世話をしなければ・・・その覚悟を決めて施設に戻った時、二度と家族と会えない。そう覚悟して戻って来たと言います。
誰もが同じことを言います。
「津波だけだったら・・・」
津波の被害で苦しんでる方達にとっては「ふざけるな」と言いたくなる言葉かもしれませんが、二重の被害にあった方達の気持ちを想えば理解出来ます。
浜通り地方でも、津波の被害を受けていない沿岸部以外の住民は皆元気。
でも「頑張ろう」っていう気持ちが湧いてこない。
人々を助ける為の義捐金。それが逆に働く意欲をなくさせてしまった現実。
働き手がいない為に、スーパーやコンビニ、大型家電店など再開出来ない。
どんどん町は廃れて行きます。悪循環です。
今、私が願うのはそれでも負けないで欲しいです。一人一人が前を向いて欲しいです。笑顔でいて欲しいです。
多くの友人がいる福島県。震災後、自分達も大変なのに心配してくれた友人達のメールや電話にとても励まされました。
自分はその友人達が住む町に、友人達に何をしてあげられるんだろう・・・
まだまだ先が見えない福島県ですが、友情という「絆」でこれから出来る事を探して行こうと感じました。
福島県の福興カフェリーダーの紺野様から
全国で福興カフェが開催され、ここ南三陸町でも福興カフェが開催されました。
地震や津波で多くの方が亡くなら、大好きな街が破壊され、言葉にすることができない光景が広がっています。
友人や知人、そして家族を亡くされた遺族にとって、この9か月をどんな思いで過ごしていたのか。
そしてこれからの南三陸町の復興を進めるにはどうしたらよいのかという不安、様々な想い入り交えながら、前を進んでいくことでしょう。
原発に関しても賛否両論があると思いますが、私たち自らの行動次第で今後のカギをにぎるかもしれません。
しかし、一番大事なことは、自然やエネルギーをどうやってうまく向き合うべきか、福興を通じて、
東北を中心に起きた震災を忘れないようにする責務があるのではないでしょうか。
レインボーフラッグ班の、なりたつでした。