3.11で体験したこと

 更新日:2012年04月30日(月)

■はじめに
私の体験談は非現実的な内容になっています。話を読んで頂いて「そんなわけはない!」「嘘をついている!」などと思われる方がたくさんいると思います。
正直周りに伝えるような話ではありません。しかし、実際地震が起き、津波が来るまでの30分の内に体験したことです。時間がある方または興味がある方は読んでみてください。
 
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■エピソード
私は生まれてから28年間南三陸町から出たことがありません。理由は簡単です。この町が好き。ただそれだけです。
 
地元の高校を卒業してからこれまた地元の魚屋に勤め、震災が起こる日まで勤務しました。
その日もいつものように出勤し、普段となんら変わらない仕事をしていました。午前中は仕入れた魚の加工、お客様の対応、あといつも来る中華料理人の友達が魚を仕入れに来ていました。
この友達が暇なのか自分の店の営業時間ギリギリまで店にいたのを覚えています。ほんと会話が大好きなやつです。
 
でもいつもと違う会話が1つありました。それは「結婚」の話です。
いきなり私に一言「お前より早く結婚してやる!」急にどうしたんだろうと思いながら私が一言「自分の顔見てから判断しろ!」
友達だからできる会話ですね。こんなことがありながら午前中が過ぎ、13時~14時までの1時間の昼食の時間がやってきました。10分かけて山手にある実家に毎日帰り、ご飯を食べていました。家には母親が1人でいていつもご飯を作って待っていてくれます。体が弱く仕事ができませんが、それ以上に家の家事をしっかりやってくれる私の自慢の母親です。そして、私が家についてみるとそこには普段いるはずのない隣町に嫁いだ妹が遊びに来ていました。6ケ月になる子供(姪)も一緒に。
 
14時になり、店に戻ると午後の市場で水揚げされた魚が店に届いていました。14時20分、10年以上もお世話になっているお徳様が店に買い物にきました。そして、運命の14時46分。大地震が襲いかかりました。私以外の方は地震が起こると同時に外に避難しましたが、私は店の奥の厨房にいたため身動きがとれず、取り残されてしまいました。
 
激しい揺れとともに陳列された店の商品が崩れ落ちてきました。それを見た時、天井が崩れ落ちるイメージが頭をよぎり、その瞬間、死を覚悟しました。揺れが約1分以上続いたあの時間はとても長く感じました。その後揺れが治まり、急いで店の外に避難しました。そこにあった光景は普段となんら変わることがない街並みが残されていました。しかし、その光景は美しいというものではありません。私はとても不気味に感じました。お客様を先に逃がし、従業員を逃がし、そのあとで私が逃げる準備をしました。車に乗り込み、そこで1つの考えが生まれました。「津波とはどんなものなのだろう?」私は海に見に行こうとしました。
 
エンジンをかけ、車を走らせた瞬間。急に私はお爺さんのことが気になり、「どこにいるんだろう?」その思いのまま車を走らせました。目の前の十字路の信号機で停止。他の道から来る車に阻まれ全く動けません。それが1分くらい続きました。もうだめかと思った時、今まで走っていた車がピタっと止まり、私はその間をぬって車を走らせました。次にお爺さんを探しながら午前中に来た友達の事も心配になり、その場所(家)に向かいました。この時点で地震が起きてから約10分が過ぎました。
 
家についてみると家族みんなで2階にテレビなどの機器類をあげていました。私は「そんなのはいいから早く逃げよう!」友達に声をかけました。しかし、なかなかやめようとはしません。このままでは言うことを聞いてはくれない。私は友達の胸ぐらを掴み「逃げるよ。」ただ一言伝えました。
その行動が何を意味していたのか彼自身も考えてくれました。「わかった」一言。私は山へ、友達は海に近い病院へ逃げました。
 
また車を走らせ次に防災庁舎の前を通りました。そこでは役場の職員が避難を促していました。また危機管理課に勤務の遠藤さんの避難警告の声が町中に響きわたっていました。「このまま家まで行こう」
 
そして、もう少しで町から抜けるという場所で今度は倒れた電柱の電線が道路にありました。そのまま通過しても大丈夫だろうかと思いながら進もうとした時、目の前の家から1人のおばちゃんが出てきてその電線を素手でつかみ上にあげ、車を通してくれました。「早く通って!」そのそばには小さなお孫さんもいました。「危ないからやめてください!」それでもやめようとはしません。私は他にも車が来て渋滞になってきたのでそのおばちゃんとお孫さんに一礼をして車を走らせました。
 
そのあとはいつもと変わらないルートを進み無事に家に着きました。
なぜか、お爺さんを探しながらいつの間にか自宅についていました。
家には家族がみんないました。ガソリンもあとわずか、とりあえず車を止めエンジンを切った次の瞬間、私は現実に戻されました。
 
お爺さんは1年前に亡くなっていたという現実に。
その時、私は思いました。亡くなってからも、私の事を心配して助けてくれたのだと。
本当に不思議な体験をしました。こんなことが現実にあるのだと。
 
私は避難するまでたくさんの人に助けられました。十字路で車を止めてくれた人。防災庁舎で自分の命を犠牲に必至で避難を呼びかけた遠藤さん。電線をあげて通してくれた女性。自分一人の力では家までたどり着くことはできなかったと思います。私は今回の震災を通して人と人との「絆」の強さを知りました。地元だけの力だけでは「復旧」はできても「復興」の2文字は完成しません。
 
甘えるようではありますが、この地球に住むみんなと共に手と手を取り合うことにより復興の道を進むことができるのだと。これからの道のりは長く険しいものになってくるでしょう。私も微力ながらがんばっていきます。最後に私が心配になった友達ですが、今回の震災で亡くなりました。逃げたはずが、忘れ物を取りに戻ってしまった際に津波に巻き込まれてしまったと聞いています。
人の死というのは残された人の気持ちを大きく変えます。悲しい気持ち、悔しい気持ち、たくさんあると思います。
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しかし、私は残された1人としてこの気持ちを「悲しい」「悔しい」のマイナスではなくプラスの気持ちにしていこうと思います。あえて気持ちを言葉として表わすことはしません。「言葉」、に留めてしまうと思いだけが残り、「形」として表わすことができなくなってしまうからです。ではどうすれば感じ取ることができるのか。それは「行動」。誰かを助けたい。誰かとは今そばにいる人を。その思い1つでプラスの気持ちはやってきます。感じ方は個々に違います。それぞれが行動するのです。私もその1人です。
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(ボランティアに語り部として震災体験や町の現状を話す山内さん)
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私の「言動」1つで救えたかもしれない同級生の「死」が、今、私自身の人生を大きく変えています。彼にもう1度会えるなら私には直接会わせたい人がいます。それは私の「妻」となる人です。そして一言。「悪い。俺が先だったみたい。」と。
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(山内さんは2012年4月に入籍されました。)
 
 
でも本当に伝えたい言葉は素直に「友達として、出会ってくれてありがとう。」
そう、彼と最後に別れた場所で告げよう。
 
山内
 
  
 
 
 
※山内さんの体験談は、講談社「ストーリー311」第一話として漫画となって紹介されています。
http://kc.kodansha.co.jp/magazine/special_detail.php/90004/5055/1
 
 

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