登米市長と交流会
更新日:2012年06月18日(月)
登米市登米町には、日本が世界に誇る建築家「隈 研吾」氏が建築設計をされた、
『森舞台』と呼ばれる能舞台があります。
去年の9月、「薪能」を見るために私はここにいて、とても心に残る言葉を聞きました。
「生き残った者は、その生を存分に輝かせなければならない」
当時、ユナイテッド・アースでボランティアを始めて1か月。
この1か月の間に出逢った人たちの事を思い出せば、
確かにここには自分の命を使って、復興に役立とうとしている人たちが沢山います。
・・・自分に与えられた命で何が出来るか。
そんな風に考えた事のなかった私は、今後のボランティア活動を続けるにあたって、
衿を正された気持ちでした。
そして、その言葉はボランティア活動に疲れて休みたい時、
弱い自分に負けそうになる時、
折に触れて思い出す、大切な言葉になりました。
・・・あれから、8か月。
6月1日、登米市の布施市長と交流会が開かれました。
石巻、女川、南三陸、気仙沼という多大な津波被害が予想される地域に隣接する自治体としての備え、
3.11からの支援活動の様子、
そして、町づくりのこと。
色々とお話をしていただきました。
心に残ったのは、
「箱(ハード)を作るより喜びや感動を持てるような、人と人との繋がりを作っていきた
い」
というお話でした。
少子高齢化、人口流出、経済の疲弊・・・これは震災後ではなく震災前から抱えていた問題だそうです。
登米市には豊かな自然があり、多くの施設・建物があり、約8万人の人が住んでいます。
南三陸町は津波によって市街地を始め、更地となり、人口も1万5千人ほどになりました。
でも、どちらの町にも、古くからある地域のコミュニティ、震災後の出逢いで生まれた繋がりなど、素晴らしい人と人との繋がりがあります。
これらを大事に育み、より強固なものにすること。
喜びや感動に触れられる機会を増やしていくこと。
これは、ボランティアとしてこの地へお邪魔している私たちでも、
草の根レベルで出来る事のひとつではないでしょうか。
実はあの日、薪能の開会挨拶で私に大切な言葉をくれたのは、布施市長でした。
私は万感の思いで参加させていただきましたが、
穏やかな話ぶりの中にユーモアも織り交ぜつつ、時には熱く語って下さった布施市長に、
あの日の言葉は本当だったのだなぁ、と感じずにはいられませんでした。
素敵な時間をありがとうございます!
これからも自分の命を使って出来る事を精一杯やらせていただきます。
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