伝えていくということ

 更新日:2012年06月13日(水)

お久しぶりです。
こんにちは、じゅんちゃんです。
 
ボランティア活動を終え故郷へ戻り、早一ヶ月が経過しました。
そんな中、南三陸町より730km離れたここ、名古屋で私の勤務中に出会った消防士さんとの会話に深く感激したので皆さんに知っていただきたいと思います。
彼の職業は消防士。
元々長野県で本年度より名古屋に転勤されたそうです。
彼は長野県の消防署勤務の時、2011年3月11日17時 緊急出動令によって被災地に向かった。
現地入りするまで24時間かかった。
現地は家屋もなく樹木もなくアスファルトもなく唖然、としか言いようがなかった。
 
作業を円滑に進めるための重機の搬入には更に24時間を要するためその間の救援、救命活動は人力によるスコップでの泥かき、素より『泥掘り』と言っても良いような作業だったそうです。
掻いても掻いても減らない泥。
見渡す限りの瓦礫。
雪もちらつき凍える寒さで手足の感覚がなくなる。
そんな中、目を疑う光景、人体。
鼻をつく臭い。
黒煙をあげる海岸。
PIC_0569.JPG
IMGP0610.JPG
被災地ギャラリー110423-0637.jpg
(2011年3月頃の南三陸町)
 
 
今でも目に焼きついているそうです。彼が現地入りして24時間が経った頃、重機が搬入されたのですがそこは消防士。すぐに操縦できるようなスキルはなかったため、現地で即戦力になるためには彼だけでなく大勢の方に訓練を要しました。
当時は全国から警察官、自衛隊、消防士、救命救急士、都道府県市町村役員が救援にあたっていたため彼は自衛隊の方と一緒に重機の操縦訓練を受けたそうです。
そんな話を彼は、
『もう東北は行きたくない』
『あんなに酷いところは他にない』
と小声で言いました。
そこで私の目で見た、感じた1年経った今の話、写真を彼に見せました。
ユナイテッドアースで活動されていた皆さんのFacebookも拝借させていただきました。
IMG_4550.JPG
IMGP0378 (2).JPG
P1450793.JPG
(2012年5月の南三陸町)
 
 
彼は
『こんなに綺麗になってるだなんて!!』
『ココ、全部瓦礫しかなかったよ』
『大川小学校!!橋がかかったの!?この辺も行ったよ!!山見えなかったよ!!』
『防災庁舎、ここを左に見て気仙沼に入ったよ!!こんなに綺麗に!!信号までできたの?』
と驚愕された様子でした。
そして安堵の顔も覗けました。
私は現地に入ったこと、活動の内容、今でもボランティアの手が加わっていることを話すと
『一年経ってもまだボランティアが活動してるなんて知らなかった』
これが大半の国民の意見かもしれません。
私が活動していた当時、長期メンバーである先輩ボランティアの方がこうおっしゃっていました。
『被災地を知らない人は自動的に復興していってると思っている。』
まさにこのことだな、って実感しました。
『何枚か写真もらえないかな?』
(その消防士さんは)私にそう問いました。
私は快く承諾し印刷している最中、彼に言われた言葉に思わず感涙しました。
『この写真を職場の皆に見せてあげたい。マスコミはどうも悲しい場所や感動の場所を悲劇のドラマにして、今を伝えてないからね。だから当時を見ていた自分たちは嫌な思い出しかないんだ。嫌でも思い出す。だから東北なんかもう行きたくないって自分も皆思ってた。けどこんなに綺麗な街に救援に行けたこと、復興に携われたこと1年たってようやく自分たちの行動が報われたよ。当時は写真撮ったら上司に叱られたからね(笑)でもこうやってしっかり街が見渡せるまでボランティアの人たちが自分たちの後を継いでくれてるようで嬉しい。』
故郷で南三陸町のことを話せた喜び。
少しでも人の気持ちを変えれた喜び。
それが第三者に伝わる、っていう喜び。
とても胸が熱くなりました。
『がんばろう東北!』を掲げてきた東北の人たちの復興に対する思いは伝わっています。
遠く離れていても南三陸町を思う気持ちは少しずつではありますが確実に広がっています。
頑張っている東北の方々にこのことを知っていただけたら、と思います。

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