豊楽食堂
更新日:2012年02月23日(木)
メディア班原賀です。
2月25日、南三陸町志津川地区に、待望の仮設商店街がオープンします。
その名も『南三陸志津川福興名店街』。
およそ30の地元店舗が軒を連ねます。
その中の一つ、『豊楽食堂』の開店エピソードを載せさせて頂きます。
店主の遠藤とよ子さんは現在79歳。
『豊楽食堂』を、町の中心地で50年前に開きました。
「たくさん食べてもらうのが大好き」という遠藤さん。
ラーメンやご飯ものを中心に、地元の方に大人気の食堂でした。
住居も兼ねており、昔は、幼い我が子を負ぶいながら調理をしたそうです。
子供が独り立ちしてからも、遠藤さんは50年間休むことなく食堂を営み続けました。
そして2011年3月11日。
『東日本大震災』発生。
『豊楽食堂』の全てが流されました。
箸一本残りませんでした。
『50年』が、一瞬で消えたのです。
店の前の病院に避難した遠藤さん。
病院の屋上から、『豊楽食堂』が津波に飲み込まれる様子をずっと見ていました。
どれほどの恐怖だったでしょう。
どれほどの無念だったでしょう。
遠藤さんがその『場所』に積み重ねた『50年』―。
いくら思いを巡らせても、とても想像が及びません。
話して下さることへの『感謝』と『申し訳なさ』を抱えながら、
必死で遠藤さんのお話を傾聴しました。
震災後仮設住宅に入居した遠藤さんに、お孫さん(ヒロシさん)から電話がありました。
東京生まれにもかかわらず、南三陸を故郷と呼ぶヒロシさんは、25歳の料理人です。
そして、その電話は、「豊楽食堂の跡を継ぎたい―」というものでした。
79歳の遠藤さんは、その声に後を押されるように、『豊楽食堂』の再開を決めたのです。
オープンした仮設店舗では、きっと、二人並んで鍋を振るのでしょう。
遠藤さんは、笑って顔をクチャクチャにしながら言いました。
「ヒロシも最初は何もできないから、1から仕込まなきゃならない。大変だよ。」
『場所』が流されても、『人』が残れば『想い』は残る、受け継がれる―。
そう気付かされました。
いよいよオープンの『志津川福興名店街』、『豊楽食堂』。
更なる『想い』が積み重なって、新たな『歴史』が始まります。
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