ボランティア活動報告

 更新日:2011年10月27日(木)

東京からやってきた、いのっちと申します。現在学生で、新聞記者を目指しています。
私は二つの想いからユナイテッド・アースのボランティアに参加しました。一つは「被災者のために少しでも役に立ちたい」という想い。もう一つは「将来誰よりも被災者に近い目線で記事を書きたい」という想いです。
後者の想いは幼少期の経験が理由です。
実は私は三宅島の出身です。2000年に起きたあの噴火によって、私たち島民は避難生活を余儀なくされました。その結果4年半にわたって故郷を離れることになったのです。なぜ記者を目指すかという部分は割愛しますが、避難生活の体験があるがゆえに将来”被災者目線”で記事を書いていきたいと思っています。そして、学生である今こそ、現地に行く必要があると考えました。
ユナイテッド・アースのボランティアとして10月17日と18日に南三陸町内の仮設住宅を訪れました。そこでは二人の男性被災者がひどく対照的な表情で震災について語ってくれました。
まず最初に話した方は90歳を超えた、今までに三度も家を流されたことのある男性でした。一度目は昭和三陸地震による津波、二度目はチリ地震津波、そして三度目は今回の東日本大震災です。そんな経験を三度もしながら今なお生きていられるのは、先代からの教訓があったためだと何度もおっしゃっていました。その方のご両親ともなると当然明治時代を生きていたわけで、1897年の明治三陸地震の経験が生々しく伝えられていたのでしょう。
印象的だったのが、話をしているときのその方の表情です。けして悲しそうに話をしているわけではなく、むしろ笑顔に近い表情でした。ただの勘違いかもしれませんが、少なくともあまり悲しそうには見えなかったのです。何かすべてを受け入れているような、そんな印象を私は受けました。
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次に話したもう一人の男性の方の表情は、ひどく対照的でした。
二人目の方は震災前まで漁師をしていたそうです。そして今回の震災によって(漁のための)用具、漁船、家の全てを失ったと話してくれました。以前は天候が悪く漁に出れない日は家で用具を修理したりするなどしていたそうです。しかしその全てが津波によって流されてしまい、「本当にすることがない」と。
この言葉は私の胸に重くのしかかりました。ぽつりぽつりと私に語ってくれたその方の表情が明るくなることは、ありませんでした。
けれどその中で唯一私の気持ちが明るくなれた瞬間がありました。その被災者の方が、私に対して気遣いの姿勢を見せてくれたのです。「今日はもう寒くなるから早く帰って暖かくして休んでおいで。(私たちのことを指して)来てくれるだけで、ありがたいよ。」と言ってくれたのです。
どちらの男性の話も、いま南三陸で起こっている現実です。
震災の受け止め方に正解が一つだけというのはないと思います。表情が明るかろうと暗かろうと、それらはまぎれもない真実でした。
その仮設住宅で自治会の方が言っていました。「人と人とのつながりをしっかりと築いていければ、また家を流されたりしても何とか生きていけるんだ」
物質的な財産というのは、流されてしまえばそこで終わります。そんな状況下で、生き残った人々の精神的なつながりがどれほど重要なものであるのか、この言葉は私に教えてくれました。
ではボランティアとして現地に赴き活動する私たちがするべきことは何なのか。本質的なレベルでいえば、この言葉に行き着くのではないでしょうか。
つまり漁業支援にしてもカフェ運営にしてもキッズサポートにしても、まずは現地の方々としっかりと信頼関係を作り、それを深めていくということです。時には私たち自身が現地の方々とのつながりを強め、また時には私たちが仲介となって現地の方同士をつなげていく、そういったものが私たちがするべき最も重要なことの一つではないでしょうか。
私もかつて三宅島噴火による被災者でしたが、慣れない都会暮らしでの近所付き合いというのは少なからず励みになりました。それを体験的に知っているからこそ、より強くそのこと(人と人とのつながり)の重要性を感じるのです。
短い期間でしたが、私を参加に至らせた二つの想いは結果としてさまざまな新しい価値観を与えてくれました。
この活動を通じて少しでも被災者の方たちに安心や喜びを与えるということは、究極の社会奉仕だと思います。それも、自分自身の成長を伴った。そしてそれらの点にこそ、ユナイテッド・アースが行ってきた活動の意味が凝縮されているのだと、私は今回強く感じました。
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