2年ぶりの南三陸町。

 更新日:2013年10月03日(木)

ボランティアに参加した、UEネーム「サラ―」から感想をいただきました。

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9月20日から30日の10日間、2年ぶりに南三陸町に行ってきました。
着いてまず気付いたことは見た目の変化です。
2年前、ところどころに山積みにされていた瓦礫はなく、

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志津川病院もなく、
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2年前活動した漁港もなく(新設のため工事現場となっていました)。

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季節的に草が生えていて建物の基礎が見えなかったこともあり、(こういう言い方が正しいか分かりませんが)全体的に片付いた印象を受けました。

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しかし、活動をすればするほど、もっと焦点を絞って見つめれば見つめるほど、そうではないことを思い知らされました。

かつて民家があった土地に貝殻や鉄筋、瓦があり、砂浜には大量に打ち上げられた瓦礫がありました。

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大きく広く街を見つめると、あたかも取り除かれたかのように見える津波の傷が、焦点を少し狭めるだけでどっと溢れてきました。

そして、それに気付くたびに自分が如何に忘れていたかを痛感しました。
被害の深刻さも、2年半前、とにかく何かしなくちゃと思った気持ちも、この町の温かさも、ボランティアの経験を伝え続けるということも。

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人間だから仕方のないことかもしれないけれど、私は忘れない努力をしてこなかったんじゃないか、そんな気がします。
話題にしづらい空気に飲まれ、復興は進んでいるものと勝手に思い込んでいたような気もします。

そもそも何をもって復興とするのでしょうか・・・。
私は、震災前と同じ場所に同じような建物が立ち、同じようなコミュニティが形成されることが復興だと思ってました。

でも、そうではないことを知りました。
というのも、今私が”片付いた”と感じた土地にはもう以前のように住宅や建物が立つことはほとんどありません。
高台移転になるので沿岸に新設しても、リフォームをしてもそこに住むことはかないません。
今までのような街は存在しないのです。
「だからね、瓦礫がなくなっておうちの基礎だけがあるでしょ?ずっとああやってきれいなままよ。」
ボランティア先のおかあさんがそう何気なくおっしゃった時はハッとさせられました。

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今回、自ら南三陸町に足を運んだことによって思い出すことができたことはたくさんありますし、新しく気づいたことや考えさせられることもたくさんありました。
ここに書ききることができないくらい…。
なので、忘れないように、伝えられるように、きちんと記録を残していきたいと思います。

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