まなプロチームで気仙沼・陸前高田へ視察に行きました。

 更新日:2013年11月11日(月)

気仙沼・陸前高田では同じく、
案内をしてくれるタクシーを利用しました。

気仙沼では、共徳丸という大きな船が海からおよそ1キロの地点に打ち上げられており、
大津波の痕跡を伝えていましたが、
つい先月に解体が終了しています。

このタクシーの利用も解体によりかなり減ってしまったとのこと。

南三陸と違い、気仙沼は沿岸部に被災した建物や基礎が未だ多く残りながら、
漁港周辺では再開しているお店も多くあり、仮設商店街もあり、
港町の賑わいも徐々に戻りつつあるのだと感じられるような気がしました。

そして、陸前高田へ。
沿岸部にある4つの建物が震災遺構として残される事が決定しているとの事で、
建物の中のガレキ類も片付けられていないままです。

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松原から流されたと思われる松の木や養殖用の浮き、ふとん、たんすなどがそのままです。

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さらに、交通量の多い45号線沿いの道の駅の跡地に、
追悼施設が建てられていました。

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中に入ると、在りし日の周辺の様子が写真展示されていました。
それを見ると、家々が連なり、田畑の広がった場所もあり、
確かな生活がここにあったのだと、そしてそれは、あの日を境に失われたのだと、
改めて感じ、黙祷を捧げる事しか出来ないけれど、
メンバー全員で手を合わせてきました。

今回の視察を通して私は、
外から来た者にとって震災を語り継ぐ人、
看板や、注意事項の案内板、追悼施設の必要性を感じました。

それは、2日間を通して出会った方、行ったそれぞれの場所で、
「ここでピースサインして写真を撮らないで」
「ここではまだ行方不明の方もいらっしゃるので、トイレをその辺でしないように」
「危ないので、遠回りですが横断歩道のある場所を通って下さい」
「献花は決められた場所で」
「お線香は危険なので火をつけないで」

案内がされていました。

場所によってはここまで津波が襲ったとは考えにくくなっている場所も多くありました。
県外ナンバーの大型バスも沢山見かけました。

被災地の方々の温かいおもてなし。
美味しい海の幸や今は穏やかな海。
ともすれば、気が緩みそうになります。

だからこそ、外から来た私達に、しっかりと伝えてほしいと思いました。

ほんの2年8ヶ月前に、その場所で当たり前の生活が失われたことを、
今なお、行方不明の人を待つ方の気持ちを。
それから、ここでのマナーも。

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物言わぬ震災遺構と呼ばれる建物。
語り部として震災と今を語り継ぐ人たち。

どちらも痛みを伴いながら、今を繋いでくれています。
今日。明日。もしかしたら今この瞬間にまた新たな災害が起きるかもしれない。

その時に、悲しむ人がこれ以上増えないように、
私達のプログラムも、変化する景色や状況に対応しながら向上していきます。


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