【出逢った皆様へ】
更新日:2014年07月04日(金)
こんにちは。
先日、□■震災から3年間、頑張り続けた2人■□
というブログを書いていただきました、山崎麻子です。
お世話になった皆さんへ、お手紙を書くような気持ちでこのブログを書きます。
つい数日前、仙台~東京を経て、沖縄へ帰ってきました。
3年前、私は石巻と東松島市で活動後、
ユナイテッド・アースに広報班のボランティアとして参加しました。
約1年半のボランティア後、残りの1年半をユナイテッド・アースのスタッフとして、
お勤めさせていただきました。
ここに来るまでの私は”ボランティア”とはスーパーマンのように、
【颯爽とやって来て、やるべきことをきっちりとやり、素性も明かさず颯爽と帰って行くもの】
だと思っていました。
実際は、そんなボランティアに私はなれませんでした。
車の運転が苦手な私は、まず、颯爽とやって来ることから、出来ませんでした。
畑で採れた野菜をお裾分けに行ったら、ウニをもらって「わらしべ長者だね!」と。
重い物が持てなくて、慣れない作業で予定の半分しか終わらなかったのに、
「明日も来てね!」と。
方言が分からない、文化の違い、、、驚き戸惑う私に笑いながら教えてくれる皆さん。
帰る日に、わざわざ集まってくれたのに2時間半も出発が遅れた私。
”住んでいる”というだけでお礼を言われて、
本当に”住んでいる”だけで、へなちょこな私を、
こんなにも長い間、受け入れて優しくして下さったこと、感謝してもしきれないです。
ありがとうございます。
引っ越しが多く、故郷らしい故郷がない私に、
南三陸町の事を語る皆さんのキラキラしたお顔は、本当に眩しくて羨ましかったです。
そちらにいる時は口に出して言うことはなかったけれど、
南三陸町が故郷だったらどんなにいいだろうと、思わない日はなかったです。
皆さんの故郷愛を知っているだけに、
“3年住んだだけで何を言ってるんだー!”と
あちこちからお叱りを受けそうなので、言えませんでした。
でも、これからの人生の中で年に数回でも南三陸町に顔を出していれば、
30年後くらいには”いいよ”って言ってもらえるかな。
第2の故郷、これから目指させていただきます!
お世話になりました!
どんなに少ない人数にしか届かないとしても、笑顔を、希望を作りたいと願った3年。
一緒に泣いて、笑って、喜び、苦しんで、その繰り返しの3年でした。
これからは少し遠い空の下ですが、また会う日までどうか笑顔で、幸せでいて下さい。
私がこの3年で出逢った全ての人の幸せを、心から祈っています。
私も、笑顔で、幸せでいます。
それが、ここで教えてもらった最大の答えとお礼に代わると思っています。
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