社会貢献共同体 ユナイテッド・アース

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志津川福興名店街オープン! 第11回福興市

2012年2月27日 13:51

ユナイテッドアースで活動している指揮です。
2月25日、雪。南三陸町に志津川復興名店街のオープンの日に立ち会うことができました。
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コンテナの店舗が立ち並ぶ商店街。隣には津波の被害を受けて壊れたままの消防署。けれどそこにはたくさんのまぶしい笑顔といっぱいの「ありがとう」があふれています。店内や店先に所狭しと並べられたお祝いの花や、いたるところから聞こえてくる「開店おめでとう!」の声、寒さなんて吹き飛んでしまうくらい温かい気持ちになりました。それと同時に、この商店街を立ち上げるために震災まもない5月から尽力されてきた皆さんの熱い思いに、わたしの胸にもこみあげるものがありましたDSC_0153.JPG
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わたしは9月末に初めて南三陸町に来ましたが、震災から半年がたったその頃でも町には明かりがなく、買い物する場所といえば仮設のコンビニくらい。初めてお話を伺った仮設住宅にお住まいの方に「こんなになっちゃって、この町の復興なんて無理だよ」と言われ、何も言えませんでした。
確かに津波の被害の跡は、もとの町を想像することができないほど。そこにはもともと何もなかったかのように土地だけが広がっていました。でもその頃は知らなかったのですが、すでに復興名店街の準備が着々と進められていたのです。2月にはコンテナに看板が取り付けられ、機器が運び込まれ、たくさんの人が出入りするようになり、そこに居るだけでパワーが感じられる気がしました。

そして今日、お店に入るとお店の方々の誇らしげな顔、顔・・・店を再開することができたことへの感謝やここで人と出会える喜び、家族や友人やお客さんみんながそれを分かち合っていました。
通りを歩いていると、仮設住宅でお知り合いになったお母さんやボランティア先の幼稚園の先生たちが、顔を見て話しかけてくれます。「お久しぶり、元気だった?」「本当によかったねえ。」「お疲れ様、楽しんでいってね。」とおっしゃる皆さんはキラキラしていました。この町が大好きで、この町を誇らしく思い、震災から立ち上がろうという思いにあふれているのです。
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復興への道のりはまだまだ長いものですが、
確実に歩みを進める南三陸町の人は、強くそして温かいです。
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語り部さんがおっしゃっていました。
「5年後、10年後の南三陸町を一緒に見てください」
ペットボトルのキャップで作られた文字は
「たすけらいだよ ありがとう」
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こちらこそ、たくさんの勇気とやさしさをもらいました。ありがとうございます。
そして、これからも南三陸町を思う気持ちを一緒に分かち合わせてください。
復興名店街のオープン、本当におめでとうございます。
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寒鱈まつり福興市

2012年2月24日 14:39


南三陸町で行われていた「寒鱈まつり」と宮城県南三陸町で毎月行われている復興イベント「福興市」が組み合わさったお祭「寒鱈まつり福興市」のダイジェスト映像


豊楽食堂

2012年2月23日 17:24

メディア班原賀です。
 
2月25日、南三陸町志津川地区に、待望の仮設商店街がオープンします。
その名も『南三陸志津川福興名店街』。
およそ30の地元店舗が軒を連ねます。
その中の一つ、『豊楽食堂』の開店エピソードを載せさせて頂きます。
 
 
店主の遠藤とよ子さんは現在79歳。
『豊楽食堂』を、町の中心地で50年前に開きました。
「たくさん食べてもらうのが大好き」という遠藤さん。
ラーメンやご飯ものを中心に、地元の方に大人気の食堂でした。
住居も兼ねており、昔は、幼い我が子を負ぶいながら調理をしたそうです。
子供が独り立ちしてからも、遠藤さんは50年間休むことなく食堂を営み続けました。
 
そして2011年3月11日。
『東日本大震災』発生。
 
『豊楽食堂』の全てが流されました。
箸一本残りませんでした。
『50年』が、一瞬で消えたのです。
 
店の前の病院に避難した遠藤さん。
病院の屋上から、『豊楽食堂』が津波に飲み込まれる様子をずっと見ていました。
 
どれほどの恐怖だったでしょう。
どれほどの無念だったでしょう。
遠藤さんがその『場所』に積み重ねた『50年』―。
いくら思いを巡らせても、とても想像が及びません。
話して下さることへの『感謝』と『申し訳なさ』を抱えながら、
必死で遠藤さんのお話を傾聴しました。
 
 
震災後仮設住宅に入居した遠藤さんに、お孫さん(ヒロシさん)から電話がありました。
東京生まれにもかかわらず、南三陸を故郷と呼ぶヒロシさんは、25歳の料理人です。
そして、その電話は、「豊楽食堂の跡を継ぎたい―」というものでした。
79歳の遠藤さんは、その声に後を押されるように、『豊楽食堂』の再開を決めたのです。
 
オープンした仮設店舗では、きっと、二人並んで鍋を振るのでしょう。
遠藤さんは、笑って顔をクチャクチャにしながら言いました。
「ヒロシも最初は何もできないから、1から仕込まなきゃならない。大変だよ。」
 
『場所』が流されても、『人』が残れば『想い』は残る、受け継がれる―。
そう気付かされました。
 
いよいよオープンの『志津川福興名店街』、『豊楽食堂』。
更なる『想い』が積み重なって、新たな『歴史』が始まります。
 
 
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たくさんの魅力ある町 南三陸町

2012年2月21日 11:17

短期ボランティアに参加したフルートです。
震災後、はじめて町の名前を知りました。
防災庁舎や志津川病院の話は報道で知っていましたが、訪れてみて、やっと町の名前と震災の出来事が一致したというお恥ずかしい状況でした。
 
ボランティア初日、志津川の町が見渡せる高台へ連れて行ってもらった時、何も感じなかったことがとてもショックでした。
ここに町があったことが全く想像できなかったからです。すでに瓦礫が撤去されてしまい、更地になっています。
こういう町なんだと思ってしまいました。
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説明を受け、ここには駅もあり、役場など町の主要な機能があり、商店街があった町の中心地であることを知りました。
震災前の町の写真も見せてもらいましたが、この更地からは想像ができない、たくさんの「色」がある町でした。
 
こちらでの滞在中、何度となくこの中心地を通りました。朝は軽く渋滞するほど車も走っています。
町の人たちはどんな思いでここを通っているのかと思うと胸が痛みました。
 
それでも、道の途中途中には仮設店舗ですが再開しているお店もあります。
手書きの看板や移転先の表示など、お店の名前が大きく書かれています。
町の人たちは前向きに町の復興に向けて生活をはじめていることが分かります。
腫れものにさわる様に町の方々に接しようとしてしまった自分の姿勢を改めることにしました。
 
そんな気持ちがもてたのも「福興市」に参加させて頂いたおかげだと思います。
私は、老舗のお店「高長味噌醸造元」さんのお手伝いをさせて頂きました。
お味噌をおまけしてくれる優しい社長さん、とても品が良く物腰の柔らかいお母さん、お話好きなとっても面白い味噌作り職人さん達、
売り子をしながらも、色んなお話をさせて頂き、とても楽しく一日を過ごさせて頂きました。
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また、今回の福興市の目玉でもある「寒鱈」は南三陸町の宝だそうです。
漁港ももちろん流されてしまい、仮設魚市場での再開ではありますが、今は「鱈」「たこ」「生わかめ」と冬魚を中心に大漁状態だそうです。
ユナイテッドアースのメンバーが漁港のお手伝いをしていることもあり、漁港の方からお話をお伺いすることもできましたが、もう、本当に鱈への愛情がいっぱいです。
そして、本当に味があって美味しい鱈なのです!!
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もともとの「南三陸町」という町が名産品の多い美味しい町で、面白く心優しい人たちが多い魅力ある町なんだということがよく分かりました。
 
今、活動初日に高台から撮ったこの町の写真を眺めながら思うことは、この更地にたくさんの可能性を感じるということです。
たくさんの悲しいことが起きてしまった場所ですが、町の人たちはそのことも含めた、新しい「色のある」町を作っていくのだと思います。
 
「南三陸町」今度は観光で訪れたい!今一番心から思っていることです。
 
 



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一艘の漁船

2012年2月19日 11:51

メディア班原賀です。
 
先日、戸倉地区の漁港を訪れた時、
寒風の中、黙々と船のメンテナンスをしている男性に出会いました。
歴27年のベテラン漁師、佐藤さんです。
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船名は『恵比寿丸』―おじいさんの代からその名は受け継がれています。
 
311の津波で恵比寿丸は破壊され、海から3km離れた畑まで流されました。
  
震災翌日に船の所在を知った佐藤さん。
その時は、『悲しみ』も『感動』も、何も感じることが出来ませんでした。
「家族と仲間の安否、その日を生きること、それだけだった。
船や仕事を考えるゆとりは無かった。」
 
恵比寿丸は、畑の真ん中で5月まで置き去られます。
 
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日が経ち、佐藤さんは再び『漁師』になる決意をします。
自身と家族と町の未来を考え、漁師の道しか思い浮かばなかったそうです。
 
恵比寿丸の復活を誓った佐藤さん。
畑の真ん中から重機で引っ張り出し、8ヵ月間かけて修理をしました。
 
佐藤さんと出会ったまさにこの日が、
修理を終えた『新生恵比寿丸』初進水の日だったのです。
「やっぱり自分の船を動かすとワクワクするね。」
口調から、佐藤さんの興奮が伝わってきました。
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修理の間、佐藤さんは漁師仲間の仕事を手伝わせてもらっていたそうです。
恵比寿丸復活の目処が立った時には、
「これで仲間に迷惑をかけないで仕事ができる」と、
『喜び』よりも『安堵感』が勝っていたと言っていました。
 
きっと、仲間の漁師は、少しも迷惑だとは思っていなかったでしょう。
皆で団結して、
『自分たちの海を、生業を、復活させる!』と踏ん張っていたのだと思います。
 
 
311に破壊された物、事、人。
けして戻れない過去、癒せない傷があることを、日々、思い知らされます。
その一方で、未来に向かう力強い歩みを、日々、目の当たりにします。
この日、佐藤さんと仲間の力で、恵比寿丸は復活しました。
今、町の至る所で繰り広げられる様々な『復活劇』。
その礎に、南三陸町の持つ強い『地域の絆』の存在を、ひしひしと感じるのです。
 
 
佐藤さんの育てた銀鮭は、4月出荷予定。
「南三陸町の銀鮭は本当においしい。ぜひ食べてください。」
――楽しみに待ちます。
 
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漁業ボランティアに参加して

2012年2月17日 13:23

こんにちは。7泊8日で千葉から参加しましたゆるです。
短期ボランティアで復興のお手伝いをさせて頂くなら、町の主要産業に関わりたいと思い、漁業ボランティアを希望しました。
 
私がお手伝いさせて頂いたのは、競りの準備と競りが終わった魚の運搬と魚市場の清掃です。
競りの準備は、魚市場に運ばれてくる鱈が入った大量の発泡スチロールの箱を並べ、ぴったり閉まっている蓋を開けていきます。漁協の方や長期ボランティアの方はコツを掴んでいてパカパカと蓋が開くのですが、私はなかなかうまく開ける事ができず迷惑になっているのではないか、と思いました。でもボランティアとして求められている事を考え、邪魔にならないように必死に手伝いをしました。
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鱈の運搬は正確さが大切です。鱈を正確に競り落とした買い手の元へ運びます。私も邪魔にならないように人手不足な所を探し、運びました。大漁で忙しい時は運んでも運んでも終わらなくて、すべて終わった時は達成感がありました。
 
ボランティア活動中に漁協の方々と話す機会がありました。震災時の港の様子、競りのお話や魚の調理方法など、短い時間でしたが地元の方とお話ができた事は貴重な経験です。また、何度も魚市場に行っていた為か漁協の女性の方にあだ名をつけられていた事を知った時はとても嬉しかったです。
 
 
魚市場にテレビの取材が入る事がありました。志津川漁協女性部の方々が鱈汁、わかめのしゃぶしゃぶなどを用意してくださったので、ボランティアの私達も頂く事ができました。いつも運んでいる鱈。地元の方が「美味しいよー!たくさん食べな!」と笑顔でふるまって下さった鱈汁は寒くなった体を温めてくれて、本当に美味しくて、一生忘れられない味です。
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志津川漁協の皆様、全くの未経験者でしたがボランティアとして受け入れてくださりありがとうございました。私は、今回の漁業ボランティアの経験を忘れず、今度は旬の魚を買ったりして消費者としても漁業の復興を支援したいと思っています。
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希望の詰まったマドレーヌ

2012年2月14日 21:45

広報班やっちです。
南三陸町戸倉地区で奮闘するパティシエの方にお話を伺って参りました。
 
町唯一のペンション「オーイング」は戸倉地区の海辺に建つ白亜の家。
家族経営ならではの暖かなおもてなし、そして素晴らしい景観が評判の宿でした。
長嶋涼太さんはそこでパティシエを務めており、多くのお客様が彼の作るスイーツを楽しみに訪れました。
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震災直後、オーイングは波こそ被らなかったものの海側の崖が崩れ、住居とするには危険な状態となりました。
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ペンションを閉業し志津川自然の家へ避難された涼太さんご一家でしたが、この地区は周辺の橋が崩壊したことにより完全に孤立しており、自衛隊の救援が届くまでの2週間は住民の方だけの力で自活を続けることとなりました。
避難所の皆さんと総出で幹線道路のガレキを撤去するなど奮闘のかたわら涼太さんは限られた食材を使いホットケーキやミルクレープを作成。
お菓子作りの腕を発揮し続けていました。
味噌汁カップ入りのパフェを作った際にはその製造過程がツイッターで実況され、日本中多くの方から応援を受けながら美しいパフェが完成しました。
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仮設住宅に移動したのち生活のためのアルバイトをしながら今後の道に迷っていた涼太さん。
しかし、これまで会った事もない人達から材料・調理器具等の支援を受けたこと、またお菓子を食べた人達の喜ぶ顔を見たことによりパティシエを続けていく決心がついたと言います。

ペンション時代から名前を変え発ちあがった洋菓子店「Oh!ing菓子工房Ryo」は、まず近しい方を対象にした注文製造からスタートしました。

そして2011年11月の福興市では焼き菓子を提供、クリスマスには種類こそ少ないものの前年とほぼ変わらない数のケーキの注文を受けました。
未だ店舗は持ちませんが使い慣れた厨房を拠点とし、目標とするペンション再開に向け動き出したばかりです。

涼太さんの自慢はふっくらとした「復興お山のマドレーヌ」。
他のお店で見かけるマドレーヌより大ぶりで、二つに割ると甘い香りが漂います。
どっしりとした食べごたえ、ほろほろとした口溶けでお店の一番人気も納得のお菓子です。
涼太さんによると「焼きたてが一番うまいんだ、外がサクサク、中がフワフワなんだ」とのこと。
いつかいただいてみたい・・・!
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12月には第三子が誕生、涼太さんはアルバイトを辞めお菓子作りに専念する決断をしました。
これからもっと新商品も開発したいと抱負を語る顔からは厳しさの中にも溢れる幸せが感じられます。
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現在は雛祭り向けのケーキを準備中とか。
「Oh!ing菓子工房Ryo」のお菓子はこれから町中の人に、きっと更にたくさんの人達に希望を届けることでしょう。


涼太さんの活躍はこちらのtwitterからご覧いただけます。
https://twitter.com/madeleine_ohing#
ご注文はこちらのサイトから。
南三陸町戸倉地区勝手に応援団
http://minamisanriku-togura.com/


 
 
 
 


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福興カフェ 2月11日

2012年2月12日 23:48

大学1年生のまねです。
 
 
南三陸町にボランティア活動にきて約1週間が経ちました。
震災から11ヶ月が経った2月11日、復興カフェが全国40都道府県、アメリカなど世界を含め45カ所で行われました。
 
復興カフェとは、震災にまつわるテーマについてグループごとに自分の意見を出し合い、それぞれの思いを共有することが目的に行われているものです。
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震災から11ヶ月が経ったこの南三陸町の
 
今回のテーマは、
"もし、地震が起きたとき、あなたはどうするか"でした。
 
わたしは、東日本大震災の時も、その前に起きた地震も恐怖を感じる程の揺れを経験したことがなかったので、想像することもできませんでした。でも、もし地震が起きたら自分のことしか考えられなくなってしまうのではないかと思いました。私のグループでは実体験をもとに意見を伝えていた人が多かったので、地震の怖さ、地震対策で自分には何ができるのかを共有することができて、とても有意義な時間となりました。他にもそれぞれのグループがそのテーマを踏まえた上で、様々な視点に目を向けていました。まず地震がおきたとき、誰でもまず自分の命を守ることが、何よりも大切なことだと全員で共有することができました。
 
でも起きたときのことを考えるよりもまず、地震対策を見直すという意見が多く、私たちがこの南三陸でボランティア活動中、地震が起きたときどこに逃げるのか、避難場所はどこなのか知らないことにも、気づくことができました。
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実際、自分の自宅近くの避難経路を知らない人もいました。
ボランティア活動を終えて、地元に、帰って何かしたいと思っていてもなかなか見つからない人は多いと思います。難しく考えず小さいことでもできることから一歩ずつ、例えば避難経路をまず家族からそして友達、近所の人に伝えることも自分にできることなのだと、今回の復興カフェを通して得ることができました。同じように、被災地に対して自分には何ができるのだろうと考えても考えても見つからない人はたくさんいると思います。
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私はボランティア活動を通して、何かできるのかという壁にぶつかり続けつつ、何よりも笑顔を素直に届けることが今の自分にできることだと思っています。ちっぽけなことかもしれません。でも自分の笑顔で頑張ろうと思ってくれた人がいる限り笑い続けたいと、南三陸町へきて強く思うことができました。
 
復興カフェに参加して、仲間と真剣に震災について話すことができて、本当に良かったです。


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ヘビーリピーター!!

2012年2月10日 01:07

こんにちは、リピーターのえみちゃんです。
 
私は今回で8回目の南三陸となります。月に1~2回のペースで来ています。

そのため、メンバーからはヘビーリピーターと言われています。

今回は、私がどうして何度も南三陸へ来るのか、書きたいと思います。

 
私が最初に南三陸に来たのは、9月の中頃です。

当初、高台にある中学校から街を見下ろして、街がまるごと流されちゃったんだ、という漠然とした感想しか抱けませんでした。

私が一番衝撃を受けたのは、街の震災前の写真を見たときです。こんなに美しい街だったんだ、今は瓦礫だらけでなにもなくなってしまったところに、家があり商店街があって、街があり、たくさんの人たちの笑顔が、生活が、人生が息づいていたんだと思うと言葉が出ませんでした。そして、これからの街の再建を考えると、どれだけの時間がかかるのだろうかと、気が遠くなる思いがしました。
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これから何年もかけて復興していくこの街を私なりの形で支援したいと考えました。

何回かボランティアに参加することで、ボランティアの内容も変わってきています。

私たちが中心になってやってきていたことが、いつしか私たちの手を離れ、街の人たちが中心となって進められて行ったり、新たなニーズが考えられ、新しいチームが発足したりしています。そんな活動の変化から、街の復興を感じることができるのも、複数回参加する魅力の一つでもあります。
 
 

本当は、長期でボランティアに入りたいのですが、仕事もしているため、難しい状況にあります。そんな中でも、休みを調整して南三陸に来るのが、私ができる支援の方法なのです。

温かい笑顔で迎えてくれる地元の方々、復興への強い覚悟を感じた毎月末の福興市、地元の産業を支える若い力、長期で頑張っているボランティアのメンバー、新しく出会う短期のボランティア、思わず

「ただいま!!」って帰ってきてしまいます。

 
ここで出逢う人たちとの繋がりが、私の生きる力にもなっています。

ボランティアを通じて感じる街の復興、人々の人生が再びこの街で息づいていかれるように、これからも何回も南三陸へ来て、ここでしかできない支援をしていきたいと思います。
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宮城県南三陸町 漁港の様子 1月

2012年2月 6日 13:46

                                                                                                                            
田の浦漁港






 
 
 
泊浜漁港


 
 
 
韮の浜漁港










 
 
 
荒砥漁港


 
 
 
志津川漁港










 
 
 
波伝谷漁港




 
 
 
坂本漁港


 
 
 
津の浦漁港


 
 
 
藤浜漁港





寺浜漁港


2011年12月 南三陸町 活動ダイジェスト

2012年2月 6日 10:33

東日本大震災における被災地でのユナイテッドアースの支援活動報告。

2011年12月に行われた活動の様子です。

『現場』で感じること

2012年2月 6日 09:54

メディアチーム原賀です。先日、新しい二人のメンバーと歌津地区を回りました。
その時に二人が感じたことを書いて貰いましたので、並べて記載します。
 
 
《たかさん》
こんにちは。"たか"です。
ユナイテッドアースで10日間ほどボランティア活動に参加します。
 
南三陸町に来て、はや3日が過ぎました。
テレビや映像でみるのとは違い『現場』空気は来て見て感じないと絶対わかりません。
 
自分は漁業ボランティアというのをやっているのですが、今日は市場がお休みという事で、長期メンバーに津波被害の漁港等を案内していただきました。
 
南三陸町のうち、志津川地区と歌津地区の港をおよそまわり、かなりの距離を走ったと感じたのですが、これだけ見てもまだまだ宮城のほんの一部。
太平洋沿岸を破壊しつくした、東日本大震災での『津波被害』の広大さに愕然としました。
 
...それまでの、日本のよき『海のある田舎の風景』は巨大津波で破壊されつくし、数多くの尊い命も奪い去られてしまいました。
 
ここでは『復興』という共通の強い思いで結ばれた仲間がいます。
素晴らしい出会いと感動と、『今』『ここ』でしか出来ない体験は、その後の人生を一変させるほどの、ものすごい力をもっていると信じきっています☆
 
 
《しゃおりん》
長期ボランティアを予定している"しゃおりん"です。
 
今日はオフを貰い、歌津地区の海岸沿いをドライブしてきました。
どの海も絶景の眺めで、夕焼けが差し込みとてもきれいで、穏やかな波をしていました。
 
でもふと視線をそらせば瓦礫があり、家が全て流された更地があり、木はなぎ倒されている光景...頭が真っ白になり鳥肌が立ちました。
 
津波は映像でしか見たことはありませんが、実際立ってみると、この海が何十メートルもの高さとものすごい速さで全てを飲み込んでしまったとは想像してもしきれません。
 
家を流されて仮設住宅に住んでいる方のお話を聞いていると
「全部流されてっから見ておいで」と笑って話され、
正直どう反応していいのか分かりません。
 
被災された方の気持ちはとても図り知れません。
心の整理もつかぬまま今もなお震災の現状と向き合い生活をしている方がほとんどだと思います。
 
活動をしていく上で失礼にあたることもたくさんしてしまうかもしれません。
でも構えずに色々な方との触れ合い、出逢いを大切にしていきたいと思います。
 
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キッズサポートボランティア

2012年2月 2日 12:12

長期ボランティアのこばけんです。 
 
僕は元々、「被災地の子どもたちの様子はどうなのか?」
が気になりボランティアに参加しました。
子どもたちに会うと、被災したとは感じられない笑顔で迎えてくれました。
子どもたちの笑顔を見ていると安心します。
 
『キッズサポートチーム』のボランティアに入って約2ヶ月。
幼稚園、保育所に行き、ボランティアを続けてきました。
保育補助として子ども達と関わらせてもらいました。
一緒に遊ぶことがほとんどでした。
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何日もボランティアに行かせてもらい、
「『ボランティア活動』の終わりはいつなんだろう?」
と考えることが多くなり、答えが出ないまま何日もたってしまいました。
 
そんなときにボランティアに行く日にちが、毎日から指定日に変わり、
活動日が少なくなりました。
「ボランティアは、頼まれる事が少なくなり、最後には頼まれなくなる事で終わりになるんだ」という自分なりの答えが出ました。
 
活動が無くなってしまうと、
子どもと関わることができなくなり寂しいけれど、
それは一つの『復興の証』なのかもしれません。
 
子ども達や先生方が日常を取り戻していける様に、
これからもキッズサポートボランティアをがんばっていきます。
 
被災地はまだまだ地震があります。
先生や子ども達が怖がっている所を見るのは正直つらいけど、
そんな時こそ子ども達の側にいて少しでも支えになれるように、
ボランティア活動をして行きたいと思います。
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第9回福興市 「志津川湾おすばで福興市」 ダイジェスト映像

2012年2月 1日 10:30

南三陸町で20年間の伝統を誇るお祭り「志津川湾おすばで祭り」と 宮城県南三陸町で毎月行われている復興イベント「福興市」が組み合わさったお祭。

 

広域支援サイト

 

3.11大震災関連サイト「絆」手を携え、前に!

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